古くから比企地域で栽培されてきたアブラナ科の野菜で、病害虫や寒さに強いため江戸時代、天明・天保の飢き饉きんから住民の命を救った野菜と言われています。茎が立つ3月中旬頃、おひたしなどで食べます。
吉見町では、昭和30年代に麦の代替作物として始まった『いちご』の栽培。荒川と市野川に挟まれた肥沃な土地は、いちごの生育には最適で、今では埼玉県内有数のいちごの産地となりました。当初は「埼玉ダナー」などの品種が多く植えられましたが、現在では甘さがひときわ口に広がる「とちおとめ」や「女峰」といった品種が主流となっています。
斜面を利用した花き(切り花・花木)栽培が盛んな東秩父村では、花桃や宿根アスタ−などを中心に約25ha栽培されています。その中でもここ最近力を入れているのは「ハナモモ」。「お花をあげましょ桃の花♪」と歌われたように、ひなまつり・桃の節句、の花です。
明治時代に埼玉県に導入され、栽培されてきた、きんちゃく型で緑色をした大型のナスです。昔は奈良漬け用に栽培され、味噌汁や煮物用の食材として重宝されてきました。果肉がしまり、しっかりとした食感は煮物や焼きなすなどに最適です。また、洋風の料理にもお使いいただけます。
品種は「章姫」と「紅ほっぺ」でどちらも糖度が高く、大きないちごにびっくりします。「章姫」は大振りで少し長細いのが特徴。紅ほっぺは粒がまるぽっく大きく鮮やかな紅色をしていて果肉も赤くなるのが特徴。美容と健康にもうれしい果物です。
滑川町のひまわり会(主婦のグループ)が作成し、直売所に出荷しています。滑川まつりをはじめとするイベントに喜ばれています。中身は甘さ控えめの炭酸まんじゅうでお土産にも好評です。
日本の紙の起源は610年に高麗の僧「雲徴」が製紙技術を伝えたのが最初といわれ、正倉院の古文書には八世紀に武蔵国から大量の紙「武蔵紙」が寄進されたと残されています。このことから埼玉では早くから紙漉きが盛んであり、小川町付近に移住した高麗人が手漉きの技術をもたらしたのが小川和紙の始まりともいわれています。
小川には三軒もの造り酒屋があります。秩父山系を源とする良質の水と酒屋に適した気候に恵まれ、古くから関東灘の異名を持った名醸地で、江戸時代からの伝統を受け継ぎ、技術改良を加えながら独自の新しい地酒にも力を入れています。
奈良時代、高麗人により技術が伝えられた小川絹は、「武蔵絹」と呼ばれ、昔は小川の里で自家生産による繭から生糸を取り織物生産地として栄えてきました。今では主に着物の裏絹を多く生産して京都を中心に各地に出荷されています。
豊かな森林資源を持つ小川町・ときがわ町では、古くから山間部農林の副業的労働力により建具が発達し、江戸時代から大消費地江戸だけでなく、東北、北海道にまで取引され隆盛を極めました。その後も家内工業的生産から工業的生産へ発展し、障子やフラッシュドア等を生産し、今日では販売先は国内全域を網羅し、総合建具産地として発展を続けています。
水嚢とはエゴの枠木に竹を編み込んで作る柄のついた竹ザルです。昔からうどんやそばなどのめん類の水切りに使うもので、今から340年以上も前、勝呂村の「杢兵衛」という人が製法を考案したとされています。小川町はうどんも有名です。
川島町では、平成17年度から、米・いちごに続く第3の特産品として、いちじくの苗木の補助を始めました。
いちじくは、昔から健康食品として広く食べられていたもので、鉄・カリウム・カルシウムなどとともに食物繊維も多く含まれています。
川島町は、東に荒川、西に越辺川、南に入間川、北に市野川と四本の一級河川に囲まれた清水豊かな米どころです。この恵まれた環境のなかで、農家が丹精こめて皆様に愛されようと一生懸命おいしいコシヒカリや彩のかがやきを生産しております。
ときがわ町といえば、何といっても原木きのこ。おがくずで栽培するきのこと違って木から直接生えます。原木まいたけ、原木なめこ、原木しいたけ等があります。特に原木なめこは、ときがわ町で伐採されたヒノキの間伐採を利用して栽培されています。採れたて新鮮なときがわ町の自然の味覚をぜひお試しください。
北アメリカ原産、マメ科の不思議ないも。明治時代にリンゴの苗木とともに伝わったと言われています。落花生程度の大きさで、小粒ですが、北アメリカではインディアンの栄養源として重宝されていました。蒸かして食べても、カレーや味噌汁の具、天ぷら、洋菓子の材料にも最適です。
ときがわ町を代表する特産品。温州みかんをはじめ数種類のみかんがあります。なかでも、福みかんという小粒の珍しい品種は数百年前から栽培されています。町内には20軒以上のみかん栽培農家と10軒ほどみかんのつみとり園があります。
ときがわ町は、奥秩父山系を背にした自然豊かな町で、古くから森林と人とのつながりが強い地域であり、林業・製材業・木工業・建築業などの木材産業は、ときがわ町の主要産業となっています。今を去る1,300年前、現存する天台宗都幾山慈光寺の建立に参加した全国の工匠が同寺完成後にこの地方に土着し、技術を伝えたのが産地の始まりであり、県内最古の伝統を引き継いでいます。
JA東ちちぶ農協、おやき部会では、おいしい、なつかしいさをもとめ田舎味、手づくり「おやき」を販売しています。
大内沢みかん園は、寄居と並ぶ北限のみかん産地として知られています。ちょっとこぶりのみかんは、ひとあじ濃いと評判です。
昭和30年代に嵐山町でも酒米造りに挑んだことがありました。
その時の酒米の品種が、嵐山町の気候風土に合い、町の酒造用好適米として生産された「中生新千本(なかてしんせんぼん)」でした。月日は流れ、再びこの酒米(中生新千本)は復活し、こだわりの地酒「おおむらさき」として蘇りました
嵐山町の土産品として町・農家・商業者で開発を進めてきた芋ようかん『紅東』と『紫芋』が商品化されました。原料には、嵐山町の農家が丹精込めて育てあげた埼玉県認証の特別栽培農産物のさつまいも(ベニアズマ、ムラサキイモ)が使用されています。パッケージは、自然豊かな嵐山町をイメージしたデザインになっています。
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